江戸の暴徒を止めた「言葉の力」——蔦屋重三郎の危機対応術(大河『べらぼう』で読み解く
2025.09.03投稿
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導入|暴力を“言葉”で未然に止める——江戸の現場から
米価高騰と飢饉が重なった江戸では、群衆が商家を襲う「打ちこわし」が各地で発生しました。
暴力の連鎖が始まる現場で、出版人・蔦屋重三郎(蔦重)は武力ではなく言葉と文字を使い、怒りのベクトルを変えた——とされます。
近年の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』でも、彼が看板・貼紙を即興のメディアとして用い、群衆心理に働きかける描写が繰り返し登場します(ドラマ上の演出であり、史実の細部は諸説)。
本稿は、この「言語による危機対応」の実像を史料的な射程で捉え直し、現代のクライシス・コミュニケーションに活かす視点をまとめます。
背景・基礎|天明の打ちこわしと“江戸のメディア環境”
打ちこわしとは何か。
18世紀後半の江戸・大坂など都市部で、米価高騰や生活不安を背景に発生した群衆暴動の総称です。
とくに天明7年(1787)は同時多発で規模が大きく、江戸でも激化しました。
浅間山噴火をふくむ気候・災害要因と市場混乱が重なり、政局にも波及したことが知られます(諸説あり)。
蔦屋重三郎とは誰か。
1750–1797。江戸・日本橋の出版商で、黄表紙や浮世絵のヒットを連発。
喜多川歌麿・東洲斎写楽らの作品を世に出し、江戸の“大編集者”として語られます。
寛政期には筆禍で「身上半減」(財産半減)処分を受けるなど、取締と創造の狭間で舵を切り続けた実務家でもありました(処分名目・影響は文献により幅あり)。
江戸の“文字メディア”の地の利。
幕府の法令掲示「高札」は都市の要所に設けられ、公共情報媒体として機能しました。
一方、商家も「引札(広告ビラ)」を配布し、短文で行動を促す文化が浸透していました。
つまり看板・貼紙・引札は江戸の町場で〈意思表明=行動誘導〉を担い得るインフラだったのです。
大河ドラマ『べらぼう』との接点。
本作は蔦屋の半生を“江戸のメディア史”として再構成し、米不足が張りつめる街で言葉が秩序を左右する様を描きます。
放送直後の検索関心(天明の打ちこわし、出版統制など)とも連動しており、視聴者が調べたくなる文脈と直結します。
本題の深掘り|蔦重の“言葉の防御線”を再構成する
1)即興のレピュテーション設計
暴動は“敵認定”から始まります。米屋や商家は標的になりやすく、群衆は自らの正義を確認し合って加速します。
ここで「看板・貼紙」によって「支援の意思」を明示し、“ここを壊す理由はない”と認知を変えることができたと伝わります。
ドラマでも看板の力が象徴的に描かれています。
2)先手のコミュニケーション
危機対応は“大きくなる前に言葉を出す”ことが要です。
不安と情報の欠乏が群衆行動を誘発するため、先回りで方針を掲示することで暴走を抑えました。
3)言葉と行動の接続
江戸の町は口コミが早く、“言うだけ”は逆効果でした。
したがって、看板は米の配布・値下げなど具体策とセットである必要がありました。
短文で行動を提示することが人々の安心に直結したのです。
4)他商家との比較
多くは戸締まりや警備で対処しましたが、“隠す=やましい”と受け取られ、かえって標的化する例もありました。
言葉の防御は低コストで非暴力な点で優れていました。
5)統制との狭間
一方で寛政改革下では出版統制により「身上半減」処分も受けています。
言葉は群衆を救う一方で、権力を刺激する危うさも持っていました。
現代との比較・応用|クライシス広報の実装ポイント
①即時の意思表示:事実・方針・期限を短文で示す。
②言葉に行動を接続:返金・寄付など具体策を明記。
③見える場所で:トップページや店舗掲示に固定。
④敵対の根拠を外す:否定より具体策。
⑤収束後は検証:再発防止を公開。
——蔦重の看板は現代の初動ステートメントに通じます。
まとめ|“言葉は防具”であり“契約”でもある
蔦屋重三郎は言葉を先に出すことで敵対を緩め、具体策で信頼へ接続しました。
大河『べらぼう』はその核心を映像化しています。
現代のリーダーが学ぶべきは、“言葉の先出しと行動の裏打ち”です。
暴力を抑えるのではなく、暴力の理由を言葉で解体する。
それが時代を超える危機対応の作法です。
よくある質問(FAQ)
Q1:蔦屋重三郎が看板で打ちこわしを止めた証拠は?
A:一次史料は限定的で、後世の逸話やドラマ描写が中心です。確定ではなく諸説とされています。
Q2:天明7年の打ちこわしの規模は?
A:1787年の江戸で同時多発、大規模化しました。被害規模は研究により差があります。
Q3:江戸で言葉が効いた理由は?
A:高札や引札など短文で意思を伝える文化が浸透していたためです。
Q4:蔦重は取締とどう折り合った?
A:寛政改革下で身上半減処分を受け、表現と取締の間で戦略を調整しました。
Q5:現代ビジネスに応用すると?
A:初動で短く具体的に期限付きの方針を示し、言葉に行動を接続することです。
参考文献
- 田中優子『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』文春新書
- 宮崎勝美『江戸の民衆と打ちこわし』吉川弘文館
- 鷲見敦子「天明期騒擾における特異性」京都女子大学研究紀要
- 岩手大学リポジトリ「引札に見る近世・近代の社会と文化」
- 立命館大学リポジトリ「近世の高札」